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釜山港に帰れ

 
2月26日、僕たちは釜山に向け出発した。
趙容弼(チョー・ヨンピル)が日本語で唄ったヒット曲「釜山港に帰れ」を思い出した。
前の日の天気予報で波浪注意報が出て心配していたが、波はハローと優しく迎えてくれた。
釜山は、博多港からJRの水中翼船ビートル号で2時間55分の旅、海外旅行に行くのだが、出発の雰囲気は平凡で興奮のかけらもない。パスポートを持ってくるのさえうっかりしたほどで、前日に友人から注意を受けなければ100%忘れるところだった。
我らの仲間には水中翼船を知らなかった奴がいる。「潜水艦の一種か」ときいたが、潜水艦で海外旅行をするのは北朝鮮だけだ。
この船、時速85キロも出る。
ジャー、なぜ旅行地を釜山に決めたかといえば、「ワトソン君、考えてみたまえ」。
僕らは、友人が集まってわいわい騒げれば、場所はどこでもかまわない。
千葉県白子温泉の小さな旅館で、大はまぐりやサザエのつぼ焼きを食うのも楽しいし、気仙沼に泊まり、フカヒレの刺身を食って、マージャンをやるのも楽しい。そんなもの、どこでも食えて、どこでもやれるのだが、場所が変わると雰囲気も変わる。
だいたい、毎日毎日同じ環境で、同じ行動をしていると煮詰まってくる。
パソコンのネットサーフィンで激安旅行を見つけた。釜山2泊3日で1万円。高級ホテルを使って1万5千円というのだ。もちろん天下の山崎ハジメ、高級ホテルの方を選んだのはいうまでもない。
最近の話題で、鳥インフルエンザの猛威がある。テレビのニュースを見ていると、韓国のレストランで日本の若者二人が、向かい合って参鶏麺(サムゲタン)を食っているところをインタビューされていた。
その寒々としたレストランには他の客がいなかった。鳥インフルエンザ問題は、昨年のサーズと同じようにアジア中に広まり、食べる人がいなくなったらしい。その若者2人も、「恐いとは思わないのですか」と質問されていたが、「これが目的で韓国に来たのだから」と強引に食べていた。このニュースを見て、僕もサムゲタンを食べたいと、思いは我が貧弱な頭脳にインプットされたのだった。
サムゲタンは有名な韓国料理らしい。まだ卵を産んでいない鶏を丸ごと、お米と野菜、漢方薬などで煮る。
料理は鍋の中でゴボゴボと音を立て、沸騰した湯の中で煮上がり出来上がり。鶏をトリだしてほぐして食べる。健康にとてもいいらしい。鳥インフルエンザが入っていなければもっと好ましい。
韓国は最近話題が豊富だ。NHK衛星放送で放映された韓国製ドラマ「冬のソナタ」は大人気で再放送され、なんと3回目の再放送が、4月三日から20話が、NHK総合チャンネルで行われるそうだ。
RYUが唄ったサントラ版は日本で「ゴールドディスク大賞」を獲得し、CDの売り上げも20万枚に達している。
釜山からそれほど遠くない「外島」という、個人の所有物である小さな島で、「冬のソナタ」最終回の撮影が行われ、視聴者の紅涙をしぼった(紅涙は本来、若い美女が流す涙だが、ファンは圧倒的におばさんが多いらしい)。物語の最終回で、主人公の二人が劇的に出会いキスを交わすのだが(男と女だぜ。最近は男と男とか、女と女などのカップルも愛を交わすようになった)、その島を見物してこようと、まるっきりミーハー的感覚で旅行プランは出来上がったのだった。
釜山港には紺のスーツに見を包んだ、すらりとした美人ガイドが出迎えてくれ、ホテルに行く前にまず免税店にお連れすると挨拶した。 これは強制的なのだ。
続いてレストランにお連れする。これも強制的。脅かされるわけではないが、従わなければならない。断ると罰金を5千円ほどとられるらしい。理由を推測すると‥‥「ワトソン君、考えてみたまえ」。
激安旅行は信じられないぐらい安い。博多港を出発し釜山まで往復して、船賃ホテル代込みで最安値が1万円ではどう考えても利益が出ない。このような大掛かりなビジネスでは、一般人には理解できない経済の仕組みが働いているのだろう。その一つが免税店で、ホテルに行く前に連れて行きお金を落とさせる。レストランでお金を使わせる。今回のような少人数では利益が出ないが、やがてこのツアーに人気がでれば大いにお金を使ってくれる。その布石を、不況の今行っているのだと思う。
僕らは種なのだ。種でも安い方がいい。
免税店ではすることがない。見飽きたものばかりだったのでボーッとしていたが、あまり退屈なので「韓国焼き海苔」と、エビなど海のものが入ったポッサムキムチを買った。前回来たときもこの両方を買ったが、思いのほか美味かったのを思い出したのだった。あの人にもこの人にもと、日頃お世話になっている人々の顔がちらつきだしたが、ぐっと我慢して出費を押さえた。
山崎ハジメ、人間的スケールはあまり大きくない。
続いて昼飯。全員で石焼きビビンバを食った。石焼きビビンバには突き出しとして、キムチと、ほうれんそう、焼き海苔、白菜の漬け物などでる。
これらはもちろんサービスで、吉野屋の紅ショウガみたいなものなのだが、知らないうちはお金をとられると思いビビンバルるのだ。
食後はまず、僕らの高級ホテルに向かった。波止場から6キロはあるという海の上の高速道路を走り抜けると、海岸辺リのマリオットホテルに着き、荷物を置いてすぐもう一方のホテル 波止場と盛り場がそばにある1万円コースのホテルに寄ったが、国際市場が目の前にあって皆満足していた。
みんなで市場に出かけてみた。日本でいうアメ横で、両脇を商店でかこまれた道路の真ん中には、おでん屋とか、天婦羅屋が小さな店を広げている。
回りは、衣料品店をはじめ、スニカー屋、革製品屋、眼鏡屋‥‥‥日本のどこでも見られる風景だがどこか違う。雑然としたところに異国情緒を感じる。
僕もトッポッキという食べ物を買い立ち食いしてみた。ソーセージみたいな形だが、これがソーセージだったらよかったのにと思った。
しかし伝統ある食べ物だから、韓国人にはとても好まれるているのだろう。
これらの、道路で商売をしている人々は、許可を得ているのか、それとも暗黙の了解なのか通訳にきいてみた。
ヤーさんが仕切っていて上納金を出しているらしい。店を出すときに権利金の一種を、月々に家賃みたいなのを払う。ところがここにも近代化の波が押し寄せて、近い将来、地方自治体が管理をするようになった。ヤーさんもリストラされているのだ。
手に健康的な職がないヤーさんは次の就職先が難しい。裏金問題が発覚してしまった日本警察の、「営業コンサルタント」であるとか、秘書の給料をピンハネする政治家に、「法律に触れないピンハネ方」を教えるなど仕事がありそうだが、国籍の関係で難しいのではないだろうかか。
グループの二人の女性は、偽物ブランド商品に興味があった。通訳に案内され普通の商店に入り、小さなドアーから奥にある秘密の部屋に入ると、そこには、ルイ・ヴィトン、グッチ、エルメス、シャネル、クリスチャン・ディオールのバッグや財布が、正確にはコピー商品が山のように置いてあった。
フェラガモやハンティング・ワールドがない。コピー商品なだけに、流行りすたりが激しいらしい。
もうじき看護婦になるというお嬢さんが何やら説明すると、親爺がルイ・ヴィトンの横長の財布を出してきて、「これは新商品で人気がある。通常は1万2千円だが、今日は特別1万円でいい」と説明をはじめた。気がつかなかったが日本語が凄くうまい。お嬢さんは「頼まれ物で、予算が6千円しかないから買えません」と答えていた。
だいたい偽物なのに「通常1万2千円の価格」というのは凄くおかしい。
僕は偽ロレックスを見ていた。
その昔、ポール・モーリアから台湾コンサートに連れて行ってもらったことがある。
ホテルの部屋に時計屋が来て、旅行かばんをベッドの上に広げ、大量の時計を見せてくれた。
本物そっくりでシルバーの、目立たないロレックスを一万円で買った思い出がある。
その時計は友達からせがまれてあげてしまい、寂しくなって本物を買ってしまった。ミイラ取りがミイラになった。
今から15年ほどかもうちょっと前、金が少し入ったロレックスは、銀座の天賞堂で87万円していた。ウインドウを100回ぐらい覗いたのでよく覚えている。僕が量販店で買ったときは、確か45万円ぐらいだったと思う。
通訳が、「中身が中国製は壊れやすいが、韓国製は長もちします」と、店員みたいなことをいい出した。
偽物というのは面白い。絵画でも生涯贋作を描く、才能ある絵描きがいるが、似せるという事柄には一種の魔力が潜んでいるのだろう。
僕はロレックスが一個欲しくなったが、偽物にお金を使わず、この一万円で美味しいものを食べようと思った。
店主が「8千円でどうです」と未来の看護婦に問いかけたが、彼女は首を縦に振らなかった。
僕だったら言い値より2割下がったから買ってしまう。店主がやけ気味に「では6千円で」と商談は成立し、見た目は世間知らずのお嬢さんが、老練な店主に勝利を収めたのだった。
道路をはさんで反対側にある、海に面したチャガルチ市場に行ってみた。
ここは魚市場で、小さな魚屋が両脇に並び長くのびている。
道路は舗装されておらず、道路に台をおいて陳列された魚は、近い国なのに見たことがないものもあった。
今までいた国際市場より雰囲気がある。巨大水槽を持った店がおおく、中にはカニやアワビなどが入っている。
やがて生き魚をその場で調理してくれる、魚料理屋に行き当たった。ここは日本のテレビでも紹介されたことがある。
数十軒はある店の群れの中に入って行くと、元気な店員が日本語で食べていけと誘うが、お客がほとんどいない。
だいたいどの店にも、値段とかメニューがない。
少し危ない雰囲気ながら一軒の店のベンチに腰を下ろし、大アサリ、サザエ、エビ、イカを注文した。
あるじは「アワビはどうです」とニコニコ笑いながら訊ねてきたが、アワビにも値段がついていない。
「この辺の店は昔、ずいぶんと高い値段を吹っかけボッタものですが、最近はまともになりました」。通訳がお茶を飲みながら話しだした。
値段がいっさい書いてないことからも、それらのことは推測された。
料理はそれほど美味くもなし不味くもなし。勘定は、僕が予想した範囲の上限で、雰囲気を考えればまあまあだと思った。
あるじは、僕らが日本人だとすぐに分かったそうだ。まず服装が違う。韓国人は派手めで、スジやキンキラキンの入った服を好む。僕には、日本人と韓国人の顔の違いは、はっきりと区別がつかないが、日本の渋谷にある語学学校で2年間日本語を習ったという通訳は、「私はだいたい分かります」といっていた。
マリナーズのイチロー選手が、ユニフォーム姿で笑っている写真がパネルに張ってあった。
一見するとイチロウがこの店を贔屓にしている印象を受けるが、この魚店は写真に写っていなかった。
夕方の食事時間に、ロッテデパートに行ってみたが、食品売り場は賑わっていた。売り子がみな日本語で語りかける。買って行きなさいというのだ。
ということとは、僕が日本人だということが、店員たちには一目瞭然だったのだろう。
鳥インフルエンザが問題になったとき、韓国では5割の養鶏業者がつぶれたそうだ。
不思議なことに若者たちが立ち上がった。
茶髪に染め、ロックを好み、日本の若者と同じような雰囲気を持っている韓国の若者たちは、大勢集まって鶏肉で鯨飲馬食し、テレビで紹介された。
ロッテデパートでも「当店で買った鶏肉で問題が生じた場合は、2億ウオンの賠償金を払います」と宣伝すると、他のスーパーも同じキャンペーンを展開し、ようやく鳥インフルエンザ問題による不買運動は沈静化に向かったらしい。
僕らは通訳に案内されて、参鶏麺(サムゲタン)を食いに行った。
店の中に入ると、中年のおばさんが3人で畳の上に寝転んでいたが、脱兎の如く起き上がった。
まるで日本の田舎のそば屋に入ったようで、外国にいるという雰囲気はみじんも感じられなかった。
サムゲタンには8千ウオンと1万ウオンがある。高い方には漢方薬が入っているというので、僕は1万ウオンの方にした。こういうところでけちると男がすたる。
一万ウオンは、日本円に換算して950百円ぐらいだろうか。なんと、他の奴らは石焼きビビンバとかアワビのおじやを注文し、サムゲタンをたのまない。
ここで争ってもはじまらないので黙っていたが、好奇心のない人間は生きながら死んでいるのと同じなのだ。
鶏肉料理は、温度が70度をこえるとばい菌が死ぬらしい。だからたとえ鶏がインフルエンザに感染していようと、この料理を食べるに関しては何の心配もいらなかった。
出てきたサムゲタンは鍋の中で、溶岩が噴出するようにボコボコと煮立っていたが、おばさんが鶏肉を皿の上にだして、食べやすいようにほぐしてくれた。
癖のない味で美味しく、全部たいらげて今回の旅行の目的を達したのだった。僕の顔はすぐに赤く上気したようになったらしい。
この日から今まで約2週間経過しているが、自分のコンサートも無事すませたし、おできができたとか、どこにも悪い変化は見られない。
韓国の若者たちが、養鶏業者を救うため「鶏肉を食おうかい」大会をしたのは、熱い韓国人の血のせいかもしれない。サッカーのワールドカップのとき、彼らは十分にその証拠を見せてくれた。
欧米の巨大銀行による売買でアジアの通貨が危機に見舞われたとき、韓国では一般家庭が貴金属類を供出してウオンを救った。こんなことは日本では起こりえない。
農業の貿易自由化問題が起こったとき、自由化による壊滅的ダメージを心配した年老いた農業組合幹部は、我が身にガソリンをかけ死の抗議をしたという。この国の人々は熱い。
最近は男性より女性の方がより熱く燃えていて、女性大臣もかなり出現しているらしい。
国際市場に明かりが灯り、ネオンが男心を誘惑する。強くなった韓国のネーチャンが涼しげな目つきで優しく誘う。
思わずどこまでもついて行きたくなってしまうが、日本のシャンソン歌手は、サムゲタンで熱く燃える心を悟られないように、にっこり笑って手を振り、高級ホテルに帰ったのだった。
タクシー代がめちゃめちゃに安い。30分ぐらい乗っても1万ウオンにはならない。1万ウオンは950円だ。
黒いタクシーと白いタクシーの2種類がある。通常黒い方が正直で値段が高いだそうだが、白いのに乗って不愉快になった経験はない。
ガイドは、「私は黒には乗らない」といっていた。
値段のことばかり書くと、自分の生活がいかに貧しいか暴露してしいるようだが、比較文化という意味で面白い。
犬の値段を見てびっくりした。ゴールデン・レトリバーが、日本円で2万円なのだ。日本で見る値段は10倍ぐらい。
どうしてこのような差が出るのか興味深い。そういえば韓国では犬の肉を食用にするという。ソウル・オリンピックでは問題になり、期間中は犬のレストランはが閉鎖されていたように思う。このことについては、通訳に尋ねるのを忘れてしまった。
明くる日は快晴。早起きし、タクシーを飛ばし船着き場に向かった。
ガイドが待っていて、「冬のソナタ」のロケ現場に行くまでのチケットを買ってくれる。
まず済州島の次に大きいという巨済島に、ホーバークラフトで渡る。約45分の旅。続いて普通の観光船に乗り目的地の外島に向かった。
ここら辺りは海の国立公園に指定されていて、景色はすばらしい。ここがギリシャのエーゲ海だといわれても疑わなかったろう。
景色の美しさはとても 文章では表現できない。デジカメで撮った写真で、その片鱗だけご覧いただきたいと思う。
外島は入場料がいる。
ただでさえ美しい場所なのに、「冬のソナタ」のロケに使われいっそう人の訪れが多くなったそうだ。
船の上から見る絶景、トロピカルな小島の夢見心地な魅力。
外国ともいえない近い異国で僕は、「今度の旅行は意外な儲けものだったな」と独りごちていた。
 
最後に、昨年の秋に仕事をした舞台で、歩くサーチライト谷村新司さんが話していたジョークを一つご紹介しよう。
だいぶ前だが、東京でアジア人による、アジア音楽の祭典をしようと各国のスターに話を持ちかけた。
韓国の趙容弼(チョー・ヨンピル)の名前は「釜山港に帰れ」の大ヒットで日本にも轟いていた。
そこで谷村さんは趙容弼に電話して出場を要請した。
谷村。「こういうわけで、貴方に出場してもらいたい。しかし予算がないんだ。無理だとは思うがギャラなしでで唄ってはもらえないだろうか」
趙容弼。「‥‥‥」
谷村。「‥‥‥何とか頼むよ」
趙容弼。「‥‥‥」  長い沈黙のあと趙容弼は、「打ち上げはあるのかな」と聞いたそうだ。
谷村さんがあると答えると、「なら出場する」と答えた。
関係者によると、谷村さんはしばしば、話を脚色し盛り上げるきらいがあるといっていた。
快晴。釜山港から博多に向かって、JRの水中翼船ビートル号は波しぶきをあげ船を海上に押し出し、僕らは楽しかった思い出に話をはずませた。
博多で「やまや」の明太子を買った。
予定より20分遅れで出発した最終便、満席の羽田行きスカイマークエアラインズは11時過ぎ、銀河のように語りかける大都会の明かりの中に、音もなく着陸した。
タラップを降り、巨大なジェットエンジンを見たとき、なんとなく外国に着いたような印象を受けた。