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クイズ・ミリオネアフランス版と仏語発音

 
オルリー空港に着いて、小さな4個の車輪がついた旅行鞄をガタピシと押して歩いた。
27キロの重量がお互いに悲鳴を上げようとするが、上に乗っかっている手提げ鞄がそれを押さえつけている。
持ち主が時代の先端にいることを証明するデジタルカメラ、ビデオカメラ、MDウオークマンなどはずっしりと重く、農園経営者がプレゼントしてくれた、手作りジャムの瓶詰め3個は、あまりのうまさに捨てきれなかった。
この鞄だけで25キロはある。なにしろ一ヶ月の旅行だから身重になってしまう。
その手提げ鞄の上にもう一つ、旧式マックのノートパソコンを乗せてあるから、総重量は50キロを軽く超えている?。
田舎モノまるだしの雰囲気でタクシー待ちの列に並んだ。
「パリまでですか?40ユーロで行きますよ」、50才前後の白タクの運転手が話しかけてきた。
とっさに、フランスの白タクも銀座の白タクも、表情の少ない同じよ うな顔をしているなと思った。
それに凱旋門の近くまで40ユーロは高すぎる。なにか粋な一言をいって断ろうと思ったが、ただ「列に並ぶよ」としか答えが出てこなかった。
タクシー待ちの行列はすぐ短くなりボクの順番になった。運転手は車を止めドアを開け放したままにして降りてきた。パリの運転手は荷物を積んだり降ろしたりしてくれる。
ところが、タクシーが静かに走り出したのだ。ビックリしていると運転手は機敏に追いかけて車に乗り込み、ブレーキを掛け戻ってきた。
「アンタのタクシーは運転手がいなくても走るのかねー」と問いかけると、「イヤー 、この暑さでヤツも頭にきているんですよ」と元気な答えが跳ね返ってきた。
年の頃は40歳過ぎ、先ほどの白タクの運ちゃんと比べて覇気がある。
「アヴニュ・カルノの、ホテル・レジェンス頼むよ。凱旋門の近くだ」。運転手は 「うん聞いたことあるような気がする」と先ほどの答えに続いてジョークを連発した。
タクシーは八月のパリを走り出した。パリっ子は「いつもこのぐらい走れるといい」 と嘆くのだが渋滞がほとんどない。
車の中は冷房が効いている。運転手が「あんたは韓国人、それとも日本人かな...」 と後ろを振り返りながら質問してきた。 「オレは......」と答えが出ないうちに、「あんたは日本人だな」と、自信ありげな言葉がかえってきた。普段の生活で、どのようにアジア人とのつき合いがあるのだろうか。ボク等でさえ、アジアの人の国籍をすぐには断定できない。運転手は話し好きだった。
アルジェリア出身で、フランスに来て15年になる。イスラム教だが、この教えは日本人に通じるところがたくさんある。
まず静かな宗教で攻撃的ではない。礼儀正しい。日本にもモスクがあって、知的水準が高い日本人が数おおく信じている。
「ボクの話くどくはないよね?」と一応は礼儀をわきまえているが、イスラム教の、よく解 からないところもある話を、後ろを振り返って返事を確認しながら続けたのだった。
凱旋門近くのホテルに着いた。ドアを開けて、トランクの中から重い旅行鞄を出してくれながら「ボクは生まれ変わったら日本人になるんだ」というのだ。
この言葉にはどのような意味が含まれているのだろう。たんなる日本人へのお世辞とも思えないが、かといって、見知らぬタクシーの運転手と話し込むような、軽い話題ではない。何か答えなければと、「ではアナタは輪廻転生を信じているのか」と尋ねてしまった。 おかげであと5分間も、舗道上で立ち話を聞くはめになった。
最後の方で、「信じないよ、その理由はごく簡単。輪廻転生では人口の増加は説明できないから」。詳しくもないのに余計なことを聞いてしまった。しかしこの運転手のおかげで、空港からの20分を退屈しないで過ごすことができた。
料金はたしか22,3ユーロだったが、チップ込みの30ユーロだすと、運転手は笑顔で話を締めくくった。
ここ数年、バカンスの後半はペルピニアンにいる。
朝出発し、オルリーで乗り換え、 シャルル・ド・ゴール空港から、その日の内に日本に帰ってきていたのだが、朝の飛行機が遅れると、日本への帰国便に遅れるかのではないかと肝をつぶす。それでパリに一泊もしくは2泊するようになった。
その日の朝、ペルピニアン空港はバカンスの客でごった返していた。この国の人は能率がいいとはいえない。ボクたち乗客が全員機内に乗り込んだときには、出発の時間が30分ほど遅れていた。
「メダム・ゼ・メッシュウ。こちら機長ですが、皆様にお知らせがあります」。
また遅れるという挨拶だろうと思っていると、「ただ今、あと一家族、4人のお客 様が行方不明です。見つけ次第出発できますので、しばらくご辛抱下さい」と機内アナウンスがあった。誰にも起こりがちなこと、不満をいう人は誰もいなかった。10分ほどして機長の明るい声が機内に響いた。
「ただ今4人家族を発見し、もうじき乗り込んできます。皆様拍手で迎えてあげてください」。乗客の笑い声がはじけた。恐縮した雰囲気のお母さんを先頭に子供づれ が機内に入ってきたとき、スターでも迎えるような大きな拍手と、大勢の人たちが立ち上がったスタンディング・オベーションは、待ちくたびれた雰囲気を一気に変えてくれた。
気の利いた言葉は、いつも人の心を和ませてくれる。
今年のバカンスの後半二週間は、ペルピニアンにあるポール・モーリアの別荘にいた。
そして夜7時からはじまるテレビ番組、日本でも放映されているクイズ番組「クイズ・ミリオネア」のフランス版「キ・ヴー・ガイニェ・デ・ミリオン」を発見したのだ。
この番組は、イギリスでもフランスでもイタリアでも、まったく同じ内容で放映されているそうだ。
フランス版は月曜から金曜まで毎日。賞金の最高額が100万 ユーロで、これは概算1億1500万円になる。
最初の問題は常に易しく賞金は200ユーロ。
「次の4ッツの乗り物で、地下を走っているモノをあげてください。1、タクシー  2、バス 3、自転車 4、地下鉄」。答えがわからない人はボクの家に電話をしてもいい。
次は400ユーロでまだ易しい。
「次の4人の歌手で、ひげを生やしているのは誰ですか。1、シャルル・トレネ、 2、ジルベール・ベコー、3、ジョルジュ・ブラッサンス、4、ハジメ・ヤマザキ」。
どこの国の出題にも多少はミスがある。
そして賞金が高額になると、「ファイナル・アンサー?」と問われる変わりに、フランス語で「セ・ヴォートゥル・デルニエール・モ?」と糺されるのだ。
ボクが興味を持ったのは、発音がとてもきれいな中年の司会者だった。番組のコマーシャルの前に、「観覧ご希望の方はTF・UN(テー・エフ・アン)に電話してください」 という言葉が繰り返されるのだが、この簡単なUN(アン)の発音がボクを捕らえて離さなかった。
フランス語の発音はいうまでもなく難しい。ボク達は4,5才になると、どのような発音もできる順応性を失うらしい。そこで無理をして鼻音などを発音すると、どうにも鼻持ちならないフランス語に聞こえてくる。その醜悪さは一言で巧く説明できないが、女性にたとえると、化粧が濃すぎるデーハーなチャンバー(音楽専門用語。推測してください)といったところだろうか。
ボクの場合は、あまり無理をしないで発音している。そんなわけで、数字のイチ 'UN'も接頭語の'AN'も同じように発音していた。'EN'のアンはさすがに区別していた。
Je(私)もJoue(頬)もJeu(遊び)もJus(ジュース)も、みなジュだが同じジュではない。
アナウンサーの発音、TF・UN(テー・エフ・アン)のアンは、遅まきながらボクに衝撃を与えた。
「やはり数字のイチぐらいは正確に発音しよう」。
発音ではその他にも、OU(ウー)あるいはQUE(ク)を、より正確に発音するよう注意されていた。
ウーは、マンボ・5のかけ声みたいだったし、クは、栗のクではないのだ。
この発見と反省は、今年の上半期以来最高の出来事だった。ほとんど全てのレパー トリーをフランス語で唄うボクは、このUNと、QUEやOUの発音をより注意するようになったおかげで、他の全ての言葉が、以前より歯切れがよくなったと思う。
ももしかすると年増女の厚化粧風になったかもしれないが、進歩の課程における退歩は将来への道しるべになる。
しかしながら最も大切なことは自国語で何を考えているかで、自国語(頭の中身)に内容がなければ、外国語がいかに上手くなっても興味のある人とはいえない。
外国語のボキャブラリーが増えても、発音が悪いとあまり好感を持たれない。
もしフランス語にマッタク興味がない方がこの文章を読んでいたら、屁でもして退屈を紛らわしていたかもしれない。
しかしながら山崎ハジメ、どんな人とも退屈のままお別れすることはない。
フランスに行ったら、日曜日の深夜12時にはホテルにいなければいけない。
出来れば独りがいい。恋人と一緒でもいい。男同士は危険性がともなうので敬遠した方が いい。
そして5チャンネルのテレビ番組を見なさい。この文章を読んでよかったと、 ボクを思い出してくれるに違いない。